2020年11月15日17時からスタートしました!
ダンサーの皆さんそして今回は見学の方々が多く参加してくれました
今回は新月に祈って踊る。そして動物保護団体へ寄付を呼び掛けて行ったオンラインハフラ、オンラインベリーダンス発表会でした。
流れ的には・・
2020年11月15日17時からスタートしました!
ダンサーの皆さんそして今回は見学の方々が多く参加してくれました
今回は新月に祈って踊る。そして動物保護団体へ寄付を呼び掛けて行ったオンラインハフラ、オンラインベリーダンス発表会でした。
流れ的には・・
最近、日本の占いや、スピリチュアル講座、youtubeメンタルケアなど、見て思ったことですが、日本の国民は個性というものを探している気がします。 多分今までの教育が親の言う通りにしなさい!、学校、仕事・・様な場面において … 続きを読む
第29回目
今度は詳しく私がイメージを描写し、誘導式になります。まずは目を瞑ってイメージを描いて踊ってみましょう!
今日は私の瞑想ベリーダンスの理念、論理、がなんと鎌倉時代~くらいから活躍した浄土教、時宗の開祖一遍、一遍上人の踊念仏がまったく同じでびっくりしたお話です。
一遍、彼の詳しい事は今日は理念のお話にフォーカスしたいので彼の簡単な自己紹介はこちらのリンクでチェックしてね。→一遍
彼の踊念仏という哲学が私の成し遂げたい踊りの理念と合っていてとても感動しました。で、早速何が?という事で、ある本に出合ったのがキッカケでした。その本から引用します。
延暦寺東塔桜本の兵部堅者重豪が「踊りて念仏申さるゝ事けしからず」と、一遍を訪ねて難結したとき、一遍は「はねばはねよをどらばをどれはるこまの のりのみちをばしる人ぞしる」、跳ねたければ春駒が跳ね踊るように跳ねればよいし、踊りたければ踊って念仏すればよい、そうすれば春駒にのることはできなくても、仏の教えを会得することはできるでしょう、といったところ、重豪は「心こまのりしづめたるものならばさのみはかくやをどりはぬべき」、たけたつ心の駒をのりしづめるのが法の道である。欲望のままに動きやすい心を静かにおさえるのが道なのに、どうしてそんなに踊りはねる必要があるのでしょうか、といったが、それに対して一遍は「ともはねよかくてもをどれこゝろごま みだのみのりときくぞうれしき」、ともかく踊りはねたいという心の駒は思うざま跳ねおどらせばよいのだ。そこから得られる歓喜こそが阿弥陀仏の御法の声だと思えば嬉しいことなのだ、と答えている。
この二人のやり取りに対して
ここには身心を「静」の状態において仏を見ようとする重豪の立場と、身心を「動」にたかめることによって仏と一体化をはかろうとする一遍の立場の相違を知ることが出来る
と著者は書いている。